東京大学(とうきょうだいがく Tōkyō daigaku、英語:The University of Tokyo)略称为東大(とうだい TōdaiまたはUTokyo)は、日本の東京都に位置する国立の総合研究型大学であり、日本最高の学府として広く認められています。
東京大学には、特に創立時に明文化された建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、現在は「東京大学憲章」[5]が定められている。東京大学憲章は、大学としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育(教養教育)を重視することを謳っている。
年表
1877年(明治10年)4月12日 東京開成学校と東京医学校が合併し「東京大学」が設立された。
1878年(明治11年)12月 文部省、東京大学に学位(学士号)の授与権を与える。
1879年(明治12年)
4月 東京大学の授与する学士号を法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士とする。
7月 法理文3学部、第1回学位授与式を挙行。
1880年(明治13年)8月 法理文の3学部に学士研究科を設置(大学院の前身)。
1881年(明治14年)
6月 東京大学職制を制定(東京大学に総理を置き、4学部と予備門を統括)。
8月 本科生を生徒と区別して「学生」と称する(学生呼称の起源)。諮詢会を設置(評議会・学部教授会の前身)。
1883年(明治16年)10月 明治十六年事件が起きた。
1884年(明治17年)
8月 本部事務室と法学部・文学部が神田錦町から本郷本富士町(現:文京区本郷7丁目)の文部省用地に移転。
10月 東京大学副総理を置く。この頃から角帽の着用が始まる。
1885年(明治18年)
8月 予備門が東京大学の管理を解かれる(翌年第一高等中学校に改組)。
9月 東京法学校(司法省法学校)を法学部に統合。理学部が神田錦町から本郷本富士町に移転。工芸学部を設置した(理学部より分割)。
12月 文学部政治学科及理財学科を政治学科と改称し、法学部に移管。法学部を法政学部と改称。
1886年(明治19年)
3月 工部大学校を統合し[注釈 6]、帝国大学令により「帝国大学」と改称[注釈 7]。総長、分科大学長、評議会を置く。同年施行の私立法律学校特別監督条規により、五大法律学校を監督下に置いた。
4月 制服制帽を制定[27]。東京職工学校が帝国大学の附属学校となる(翌年分離)。
7月 帝国大学運動会結成。
12月 神奈川県三浦郡に臨海実験所を設立。
1887年(明治20年)
2月 国家学会を設立。
5月 学位令公布(学位は博士・大博士とし[注釈 8]、授与権者を文部大臣とする)。
7月 分科大学卒業生に授与する学士号は称号とし法学士・医学士・薬学士・工学士・文学士・理学士とする。
1888年(明治21年)
5月 初めて博士号を授与(25名)。
7月 工科大学が虎ノ門から本郷本富士町へ移転。
11月 理科大学附属東京天文台を設置した(麻布区飯倉)。
1889年(明治22年)11月 史学会を設立(翌月『史学会雑誌』創刊)。
1890年(明治23年)6月 東京農林学校を統合し、農科大学を設置した。
1891年(明治24年)8月 法科大学の修業年限を3年から4年に延長した。
1892年(明治25年)
3月 筆禍事件により久米邦武教授が辞職。
8月 帝国大学図書館竣工。
1893年(明治26年)
8月 帝国大学官制公布(1897年廃止)。
9月 各分科大学の講座制が正式に確立[注釈 9]。
1894年(明治27年)11月 千葉演習林を設置(日本初の大学演習林)。
1895年(明治28年)
1月 『帝国文学』創刊(1920年終刊)。
4月 文科大学に史料編纂掛を設置した。
1897年(明治30年)
2月 農科大学で火災が発生し、本校教室の大部分を焼失した
6月 京都帝国大学の設置に伴い「東京帝国大学」と改称した。
8月 理科大学植物学教室が小石川植物園内に移転。
1898年(明治31年)
3月 外国人留学生の選科入学が初めて認められる[31]。
5月 農科大学実科を開設。
9月 入学資格者を高等学校大学予科卒業生に限定する。
12月 帝国大学が授与する博士号に農学・林学・獣医学を追加。
東京帝国大学行幸
(藤島武二筆、聖徳記念絵画館蔵)。 最後の行幸の際に落成直後の正門を馬車で通過した状況を描く。
1899年(明治32年)
4月 農科大学に農業教員養成所を開設。
7月 明治天皇が初めて同大学に臨幸し、卒業式において優等生に銀時計を下賜[注釈 10]。
1902年(明治35年)11月 日光町仏岩に植物園分園を設置(1911年に現在地へ移設)。
1905年(明治38年)8月 戸水事件が起こる。
1906年(明治39年)9月 外国人留学生が本科生として初めて入学。
1907年(明治40年)3月 帝国大学特別会計法公布。
1908年(明治41年)7月 法科大学に経済学科を設置した[35]。
1909年(明治42年)
3月 東京天文台の移転用地として東京府北多摩郡三鷹村の土地を購入した[注釈 11]。
6月 法科大学に商業学科を設置した[35]。
1910年(明治43年)
4月 農科大学に水産学科を設置した[29]。
10月 ドイツ人教師ハインリヒ・ヴェンティヒが「東京帝国大学ニ於ケル経済学教授法改良意見」を提出。
1912年(明治45年)
6月 本郷キャンパス正門を建造。
7月 明治天皇が卒業式に出席(11日)。これが明治天皇にとって生涯最後の行幸となる(同月30日に崩御)。